珠型名の由来・平成版
第40期名人・山口釉水
序文

♠ 連珠の珠型には、風雅な愛称が付いています。珠型の愛称に由来があることを山口が知ったのは、はるか有段者になってからのこと。我流会発行の「山月の研究」に載ってた次の文を見たときでした。


「月白、山巓に在り。故に山月と謂う。」
※山巓(さんてん)は、山の頂上の意。

♠ 黒1と黒3を山に見立てて、白2を月としたわけです。山の上に月があるから、山月。なんと粋な命名でしょう。この由来を初めて聞いたとき、きっと他の全珠型にも同じような由来があるのだと思っていました。しかし、一部の珠型の由来は拾い集めることができましたが、多くの由来は現在まで不明のままになってます。

♠ この風雅な連珠文化が途切れてしまったことを、とても残念に思っています。諸先輩が「珠型名にはこのような由来があるんだよ」と、先哲の粋な文化を事ある毎に後輩へ自慢してくれていれば、この由来が失われることはなかったでしょう。

♠ 一部の珠型名の由来は、第一世名人・高山互楽が「聯珠真理」の中で著した名文が現代まで伝わってます。しかし、それ以外の珠型の由来は欠けたまま。喩(たと)えるならそれは、割れた状態で出土した土器のようなものです。割れた一部でも残ってるならいいという見方もありますが、珠型名は現在も使われているもの。由来も知らないで、ただ珠型の区別のためだけに愛称を使うのは、うら寂しいものだといつも感じていました。

♠ さて、割れて出土した土器は、展示のために「元の姿を想定して、欠けを石膏で補填する」という修復をします。それと同じように、我らが連珠の珠型名の由来も、伝わらなかったものを現代の珠士が代理で埋め合わせれば好いと考えました。珠型名の由来・平成版を作ってみようというのが本稿の主旨です。もちろん、伝わってるものは原文の意味をそのままに、現代の人が読んで通じる文として作成してゆきます。

♠ 由来が全く伝わってないものについては、山口が推定して由来文を創りました。後日にもしも、正式な由来の書かれた古書が出てきたなら、そしてそれが山口の推定とかけ離れたものだったら、それを基にして再度由来文を書き直します。伝わってなかった由来を手元の資料で見つけた人がいましたら、編集部まで知らせていただければと存じます。

♠ 全珠型名の由来は、珠型の伝統的分類である「桂間連」の順にまとめて紹介してゆきます。珠型同士の関連性もあるので、由来が似た珠型を並べるなどして、全体を読みやすくするためです。

八桂

♠ 桂馬の珠型は、7号までの由来が「聯珠真理」に記されています。第一世名人・高山互楽が明治44年4月に「連の五珠型」と同時に紹介した名文ですが、現代の人にはいささか意味がつかみづらい印象です。原文の意味とともに、平成版の由来を紹介します。

1号桂・峡月(きょうげつ)
8号桂・渓月(けいげつ)
1号桂・峡月 8号桂・渓月
月白、峡谷に入る。
ゆえに峡月という。
月白、渓谷に入る。
ゆえに渓月という。

♠ 黒1と黒3がふたつの山で、その谷間に白2の月が浮かんでいる様子。峡月も渓月も、奥深い山々の間に月が挟まれている光景に見立てたのが由来です。

♠ 峡谷は、渓谷よりも幅広く深いものを指します。すると渓谷は細いわけで、同じ形でも「タテに細長い方」を渓月と名付けたのは秀逸だと思いました。峡は「山に挟まれた」という意味で、山が主役。渓は「川の流れ」で、川が主役。主役のスケールを考えて「狭い方が渓月だ」と紹介すれば、初心者でも混同なく覚えてもらえるでしょう。

♠ 明治から昭和の初期は、峡月と渓月は同一の珠型で、どちらも峡月と呼ばれてました。呼び分けるときには、渓月を「直接峡月」などと記していたようです。ちなみに、愛称が付く前は「抱き桂馬」と呼ばれていたと聯珠真理にありました。

原文:月白、山と山の間に在り。故に峡月と謂う
7号桂・山月(さんげつ)

月白、山に座す。
ゆえに山月という。

♠ 黒1と黒3が山、白2を月に喩えたもの。山の上に月が座っている様子。

♠ 名月と嵐月の説明を理解しやすくするために、7号桂・山月を先に紹介しました。

原文:月白、山巓に在り。故に山月と謂う
(※山巓(さんてん):山の頂上の意)
2号桂・名月(めいげつ)

月白、名峰を照らして絶景を為す。
ゆえに名月という。

♠ 黒1と黒3は、山月と同じく山を示します。黒2珠の名峰を、白2の月が離れた場所から照らしている様子。名峰は「美しい山」という意味です。

♠ 名月は、当初は「明月」と書かれていました。発音は同じ。後に「間の七珠型」が制定されたとき、「明星」と「明月」の混同を防ぐために、大正13年8月、尾道市の橋本娯黙氏の提案で「明月」から「名月」へ改称されたそうです。

♠ 原文は「山からすっかり離れてしまったので(山に邪魔されずに)月が明るく輝いている」という意図でしょう。

原文:月白、全く山を離る。故に明月と謂う
3号桂・嵐月(らんげつ)

月白、嵐に遭(あ)いて山を離れる。
ゆえに嵐月という。

♠ 山月・名月と同じく、黒1と黒3の配置を山と喩えています。山に対する月(白2)の位置が3珠型で相違しますが、山に座ってるのが山月、離れた所から山の姿を照らしているのが名月、嵐に吹かれて山からわずかに離れたのが嵐月というわけです。

♠ 名月と嵐月の「山と月との距離」の差は、白2と黒3の位置関係によるのでしょう。たった白1珠の違いだけでスケールの大きな風景を何通りも想像できるのは、星座を想像した古代人にも負けないものだと思います。

♠ 名月は比較的黒が打ちやすく、嵐月は定石がかなり難解になったいきさつがありました。名月と嵐月の愛称は、黒の難しさを比較して示す点でも見事な命名でした。

  • 名月は、月を鑑賞するように黒が勝てる
  • 嵐月は、黒にとって試練の嵐が吹く

♠ 原文は、嵐月の白2と黒3の距離から「山からわずかに月が離れた」としたものでしょう。名月は、白2と黒3が「すっかり(=全く)離れてる」わけです。

原文:月白、纔(わずか)に山を離る。故に嵐月と謂う
4号桂・水月(すいげつ)

月白、水面を照らす。
ゆえに水月という。

♠ 黒1と黒3が波打つ水面を表し、白2の月がそれを照らしている様子。非の打ち所がない、素晴らしい命名。

♠ 白4をAへ打つ防ぎに「水鏡」と愛称がついてますが、その愛称とともに水月の名は、連珠文化が続く限り語り継がれてゆくでしょう。

原文:月白、水平の上に在り。故に水月と謂う
5号桂・残月(ざんげつ)

月白、一峰を見上げるも、未だ一峰に残る。
ゆえに残月という。

♠ 黒1と黒3はふたつの山。黒3の山を見上げるほど低く落ちた白2の月だが、まだ黒1の山の上に残っているぞという様子。

原文:月白、一峰に落ちて一峰月よりも高し。故に残月と謂う
6号桂・新月(しんげつ)

月白、山に座すも、その山高からず。
ゆえに新月という。

♠ ここで言う新月は、満月の対語ではなく「東の空から上り始めた月」という意味。黒1と黒3は、山月と比べるとなだらかな山。白2の月は上り始めたばかりなので、やっと山の上に顔を出しても、その山は低かったというわけです。

原文:月白、未だ山を離れずして、山亦(また)高からず。故に新月と謂う
十間

♠ 大正8年3月、内田更石氏によって「長星・恒星・明星・寒星・疎星・晨星(今の金星)・瑞星」の七間が命名されました。「七間の研究益々進むに従い七間に命名するの必要相迫り候につき、爾今左の如く称呼する事に致し候也。但し七桂と区別する為に皆星の字を付したり」と記されています。

♠ 後に「桂間連」が7珠型ずつから8珠型ずつになったときに流星が追加され、珠型の分類が「桂間連」から「直接・間接」になったときに彗星・遊星が追加されて10珠型になりました。  間の珠型には由来話がひとつも残っておらず、ここで紹介する由来は全部「珠型名から山口が推定したもの」です。

1号間・長星(ちょうせい)

妖星、真直の光芒を天に亘(わた)らす。
ゆえに長星という。

♠ 長星は、現代でいう彗星の一種。長い尾をたなびかせる「ははきぼし(=ほうき星)」には、彗・孛(はい)・長の3種があると「和漢三才図会」という書物に紹介されています。光芒とは、星から突き出て輝く「星のトゲ」と考えて下さい。

  • 彗星:光芒が長く、参参として払い帚くようなものである
  • 孛星:光芒が短く、光は四方に出て、蓬蓬勃勃としている
  • 長星:光芒が真直に指し、あるときは天に竟なり、あるときは十丈、三丈、二丈の長さになる
    (訳:光芒が一直線になるように(左右に)突き出し、あるときは天の端まで届き、あるときは十丈、三丈、二丈の長さになる)

♠ 尾を引く星が天に現れると、その星の形状を調べて「彗星が現れれば必ず大風、大旱、地震、災疾が起こり、長星が最凶。孛星は兵乱の兆しである。」と占ったそうです。光芒は「ほうき」と喩えられますが、ほうき部分が一方向だけの彗星より、両側に伸びた長星の方が広範囲に影響を及ぼすと考えられたのでしょう。現代ではこの区分がなくなり、尾を持つ星はみな「彗(ほうき)を持つ星」ということで「彗星」に統一されています。

♠ 黒1と黒3が「天の端まで届くように左右へ伸びた真直の光芒」で、白2が「彗星のコマ」。黒1と黒3のように左右へ真直に伸びてるものは長星になるというわけです。

♠ 「ははきぼし」の中で最凶の名を冠した長星は、現在でも黒に災いをもたらし続けています。

2号間・恒星(こうせい)

陽星、南中して天に座す。
ゆえに恒星という。

♠ 黒1と黒3は地平線。白2は南天の中央にどっかり座った星で、つまり「太陽」というわけです。「太陽」から「恒星」となったのでしょう。

3号間・明星(みょうじょう)
6号間・晨星(しんせい)
3号間・明星 6号間・晨星
輝星、天に上りて高らかに笑う。
ゆえに明星という。
小星、晨(あさ)の地平に現る。
ゆえに晨星という。
           

♠ 明星・晨星はそれぞれ、太陽系惑星「金星・水星」のことです。七間の命名に当たって、内田氏はいろいろな星の名を候補のために挙げてるはずです。その中にはもちろん、惑星名である「水星・金星・火星・木星・土星」もあったのでしょう。しかしそれらの名を冠すると、どうにも薄っぺらい印象になるのは否めません。そこで、命名に深みを出すために、金星の異名である「明星」と、水星の古称である「晨星(しんせい)」を採用したのだと推定されます。

♠ ちなみに、水星以外の4つの古称は、金星=太白(たいはく)、木星=歳星(さいせい)、土星=鎮星(ちんせい)。晨星を含めた5つの呼称は、古来の占い用語でもあります。晨星は辰星と書かれることもあります。(あるプロの占者から聞いたので確かです)

♠ 明星の黒1と黒3は「高い木」で、白2はその上で輝く星。その瞬いている様子を「笑う」と表現してみました。「明るく笑う」というのも、こっそり懸け言葉になっています。

♠ 晨星の黒1と黒3は「地平線」で、白2はその上にちょっとだけ顔を出した星。左(東)の空に見えてるので、上りたての朝(=晨)の星というわけです。

♠ 水星(=晨星)は内惑星なので、地球からは常に「太陽のそばにある」ように見えます。ゆえに水星は、「太陽が上る直前」か「太陽が沈んだ直後」に、ほんの数時間しか天に姿を見せません。太陽が天にあると、その光で水星の姿は消されてしまうからです。直接7号の形を「天高く輝けない星が地平線の上に少しだけ顔を出した様子」に喩えて晨星と名付けたのは、白眉だと思いました。

♠ 夕方にも顔を出す水星がなぜ「晨(=朝)の星」とされたのかについては定かではありませんが、「夕方に星を見るときには沈む直前の星より上ってくる星に目が行くものだ」という人間心理を考えたら、「水星は朝上ってくる直前に見つかることが多かったから」という理由に行き当たるでしょう。ちなみに、中国語の晨星には対語があって、夕方の星は「昏星」と表現されます。

♠ 山口が晨星の由来に気付いたのは、2007年4月のことでした

4号間・寒星(かんせい)

小星、凍えて寄り添う。
ゆえに寒星という。

♠ 黒1と黒3は少し暗い星で、白2が明るい星。冬空で3星が、寒さをしのぐために寄り添っている様子。冬の冷気で一段と冴えて輝く「昴」をモチーフにした命名。ちなみに寒星は、詩歌や俳句の冬の季語だそうです。

♠ 山口がこの由来に行き着いたのは、この原稿を書いていた2007年9月24日のこと。書き始めた当初は、「黒1と黒3が立ち込める雲で、白2の太陽が影ったので寒いのかな」と推定していました。

5号間・疎星(そせい)

妖星、疎(まば)らな天隙(てんげき)から覗(のぞ)く。
ゆえに疎星という。

♠ 黒1と黒3は空を覆う雲。黒2珠の隙間は「雲間から疎らに見える空」で、天の隙間から白2の星が覗いているという様子。

7号間・瑞星(ずいせい)

輝星、瑞雲を随(したが)えて立つ。
ゆえに瑞星という。

♠ 黒1と黒3は立ち上る瑞雲。白2はそれを随えて輝く星というわけです。瑞雲の意味は「めでたい兆し(瑞)がある雲」。瑞雲が立っている姿は、なんとなく茶柱を連想させます。「めでたい繋がり」ということですね。

8号間・流星(りゅうせい)

妖星、流れて地に堕ちる。
ゆえに流星という。

♠ 流星は、彗星の尾が残した塵に地球が入ったときに見られる天体現象です。塵が大気圏に突入した摩擦で、燃えて降ってくるのが流星。地表までに燃え尽きるので、すぐ消えてしまうのが通常です。

♠ 白2が「彗星のコマ」で、黒1が短い光芒の尾。尾が短いので、「和漢三才図会」によれば孛星と区分されるのでしょう。黒3は、そこから落ちてきて燃え尽きた流星というわけです。

9号間・彗星(すいせい)

妖星、天を掃く。
ゆえに彗星という。

♠ 長星が「両方向に光芒が伸びたもの」と考えれば、彗星の由来は簡単。黒1と黒3が「一方向に伸びている光芒」で、白2はもちろん「彗星のコマ」です。彗星は、長い尾が「ほうき(=彗)」に見えたことによる天文用語。

♠ 黒3がAにあると「大彗星」という珠型になります。Bだと「大々彗星」。黒3をCへ打つ珠型を山口は「ハレー彗星」と名付けてみました。「76年に一度だけ黒が勝てる(こともある)」というのが由来です。(冗談ですよ)

10号間・遊星(ゆうせい)

小星、陽を囲み巡る。
ゆえに遊星という。

♠ 遊星は、明治の頃に「惑星」と同じ意味で通用していました。現在でも、「遊星歯車機構」という、速度を増減させる歯車の中で使われてる用語です。

♠ 白2を太陽とすると、黒1と黒3はその周囲を回る遊星(=惑星)というわけです。

八連

♠ 連の珠型は、「聯珠真理」に由来が5個だけ残っていました。雨月は、当初は「直接雲月」と呼ばれていたそうです。

♠ 連珠の創成期には、連の珠型は黒が密集してるので黒必勝になりやすいと漫然と感じられていました。黒必勝では遊戯が成り立たちません。それを回避するべく、「黒3を黒1から桂馬に打てば、連を持ってないので一方的に黒が勝つことはないだろう」という発想で、初めに注目されたのが「七桂の珠型」だったと考えてます。それが証しに、桂馬の珠型はいち早く命名が出揃っているわけです。

♠ それに続いて、黒必勝になりにくいと考えられていた「七間の珠型」の研究が進んで、必要に迫られて命名されます。そうして最後に、全珠型を統べるために「七連の珠型」が見直されて命名されたのでしょう。

♠ 桂間連の順がこの歴史によって決ったものとすれば、ここにも面白い文化の欠片があると感じさせてくれます。

1号連・雲月(うんげつ)
8号連・雨月(うげつ)
1号連・雲月 8号連・雨月
月白、叢雲(むらくも)に在り。
ゆえに雲月という。
月白、叢雲流して雨を呼ぶ。
ゆえに雨月という。

♠ 雲月と雨月は、当初は同一珠型として「雲月」と呼ばれていました。黒1と黒3は、白2の月を覆う雲というわけです。叢雲は群雲でも好かったのですが、明治の先輩のセンスに負けないために、神器「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」からこの熟語を借用しました。

♠ 雲と雨の命名由来の差は、その珠順にあるとこじつけてみました。黒3に注目すると、次のようになります。

  • 白2の月に黒3の雲が「かかる」のが、雲月
  • 白2の月が黒3の雲を「流して」雨になるのが、雨月

♠ この説明をすれば、雲月と雨月を覚える初心者のガイドになると思います。

原文:「雲月」と云う。黒きもの、月白を干せばなり。
2号連・浦月(ほげつ)

月白、浦磯にかかる。
ゆえに浦月という。

♠ 浦は「入り江」、磯は「岩場」の意。黒1と黒3が「入り江にある岩場の崖」で、そこに白2の月がかかっている様子。

♠ 今までは「黒1白2黒3の形が入り江に似てるからかな」と考えていたのですが、黒2珠が「海岸の断崖」と考えたら、すっきり解釈できました。ちなみに、この由来に到達したのは2007年9月22日でした。

♠ 浦月は、元は「梅月」と呼ばれていました。黒1と黒3が斜めに立つ梅で、白2が月というのが由来でしょう。大正10年4月、梅月と吟月は内田更石氏によって改称されたそうですが、その真意は不明です。梅月の改称は、「樹+月」という由来が松月とかぶっているのを避けたのか、それともある病名を連想させるのを嫌ったかのどちらかだろうと推定しています。

原文:「梅月」と云う。花月に似たればなり。
3号連・吟月(ぎんげつ)

月白、見上げて吟ずる者在り。
ゆえに吟月という。

♠ 黒1と黒3は詩人で、白2の月を見上げて詩を吟じている様子。ちなみに、この由来に山口が気付いたのは、2007年になってからのことでした。その気付きは、この原稿を書こうと考えた動機にもなっています。連珠を始めて28年目になりますが、吟月の美しい由来すら知らないまま名人にまでなっていました。

♠ 先輩から教わらなくても由来に気付ける人もいるという証明にはなりましたが、初心者の頃にこれを知りたかったものです。もし初心者の頃に知っていれば、明治から昭和初期に活躍した珠士たちはもっと身近な存在に感じられていたでしょう。現代の珠士が感じるその「身近さ」こそが「文化の継承」と言えるのではないでしょうか。

原文:「吟月」と云う。肩邊に月あるなり。
4号連・斜月(しゃげつ)

月白、斜(かたむ)いて地にかかる。
ゆえに斜月という。

♠ 黒1と黒3は「小高い丘」で、沈みゆく白2の月が丘にかかっている様子。斜に「傾く」という意味があるのに気付いたのは、太宰治「斜陽」のタイトルからでした。「沈みゆく太陽」を斜陽というなら、斜月は「沈みゆく月」となるわけです。西の空に沈む様子なので、斜月の白2は「黒1と黒3の丘」の右(西)にあるのですね。

♠ 山口がこの由来に気付いたのも、2007年8月のこと。それまでは、「黒1白2黒3が斜めだから、見た目で斜月とつけられたのかな?」と考えていました。もちろん、それも懸け言葉になっていたのでしょう。今となっては、古人のセンスを侮っていたとしか言い様がありません。気付いたときには、心の中で「参りました」と土下座していました。

原文:なし
5号連・花(かげつ)月

月白、雲をまといて花の如し。
ゆえに花月という。

♠ 白2が月で、黒1と黒3は月にまとわりつく雲。雲と月が「花」に見えるという様子。

♠ かなり早い段階から黒必勝の珠型として親しまれていて、いち早く「花のように見える月と雲」という愛称がつけられていたのでしょう。原文でも、はるか以前からそう呼ばれていたことが伺えます。

原文:「花月」と云う。従来の称に従うなり。
6号連・丘月(きゅうげつ)

月白、丘に登る。
ゆえに丘月という。

♠ 黒1と黒3が「小高い丘」で、白2が月。山月よりも低いから丘だというわけです。

原文:なし
7号連・松月(しょうげつ)

月白、樹上に在り。
ゆえに松月という。

♠ 黒1と黒3が樹で、その上に白2の月が出ている様子。日本で樹といえば「松竹梅」が上等の順位。その順位で最上の「松」で、樹を代表したということでしょう。樹月とする手もあったのでしょうが、やはり日本人なら「松と月」の取り合わせが粋というものです。できれば鶴も飛ばしたい。

♠ 現代中国語では、「松」と書くと「リラックス」という意味になります。中国の人が松月を「リラックス・ムーン」と解釈してるかどうか、いつも心配しています。

原文:「松月」と云う。樹上に月あるなり。
結び

♠ 珠型名の由来・平成版は、「これが由来だ!」と押し付けるつもりは毛頭ありません。土器の喩えと同じで、もしも後に「補填した部分の欠片」が出土したなら、補填部分を取り除いて出土したものを嵌め込めばいい。珠型名でも、由来話が見つかって、それが平成版の推定由来とかけ離れてるのなら、平成版を書き換えればよいだけのことです。

♠ しかしその作業をするにも、現存するものを誰かがまとめて資料化しておかないと、いつまでも元の姿は取り戻せません。全部が見つかってからまとめて発表するのではなく、まずは既存のもので再構築するのが先決。それが、この稿を書いた動機でした。

♠ 普及において、珠型名の由来は抜群の効果を発揮します。特に女子の入門者は、このような由来話に目を輝かせて聞き入ることが多いものです。今まで放置されていた連珠文化の断片は、この稿でその全容をとどめました。平成版の由来はこれから、普及活動などで活用していただければ幸いです。

2007/09/27 山口釉水